東坂部町獅子舞の起源・由来について

東坂部町に鎮座する刑部神社に伝わる獅子舞神事は、その昔椿大神社を原点として発し、鈴鹿市箕田より、約120~130年前幾多の変遷を経て、今日に伝承されたものとして言い伝えられています。

伊勢国一ノ宮猿田彦第本宮紀、椿大神社獅子舞神事の起源由来記によると、本来獅子は百獣の王であり、この百獣の王獅子は原神人猿田彦と云う強烈優秀な神様が出現して、この獅子を自由自在に教導し、之を神の祓い清めに神の役割をさせたのであります。

今から約1300年前、奈良朝の頃、椿神社に聖武天皇行幸参拝され、勅願のことあり、その勅願は

「天下泰平」「四海静穏」「風雨順時」「百穀潤屋」と記され、世の乱れを治め天下の平安、人民の幸福、五穀豊穣を祈念されたのであります。

ちなみに、獅子舞の流儀流派は、地方により異なるが、この近辺では

『椿流(山本)』『箕田流』『稲生流』『中跡流』の四派があり、東坂部長に伝わる流儀は箕田流が伝承されたものです。


今から約130年前、3年に一度箕田から来て獅子神楽で祈祷したと言われています。その頃、百姓は一年中仕事に追われ、総長から夜遅くまで仕事に精を出していて、楽しいことは正月と祭りだけでした。三年に一度着てくれる箕田の獅子舞は、三年分の楽しみが一度に来たようで、娘や若い衆初め、年寄り子どもも、村中あげての大騒ぎで嫁入りした娘も親類縁者も招いての大祭りで、獅子の来ている間は楽しくて、日頃の苦労も吹き飛ぶ数日だったといわれています。


東坂部で獅子舞を始めた頃は明治7~8年、有志10名(子ども含)で、当時の区長様が宿と思われますが、10月13日の大祭日には刑部神社に奉納し、その後獅子神事祈祷の依頼申し込みがあった場所において御祈祷舞をおこなったそうです。

その後青年団が受け継ぎ、団長宅を宿に10月12、13日の2日間、盛大に実施されてきました。戦後の流れと共に青年団解散後一時休止がありましたが、青年団員の獅子舞経験者の有志の人たちが立ち上がり継続されてきました。

昭和57年に東坂部町獅子舞保存会(会長は自治会長)を結成、会の中に技能部を置き、口取・後舞は小学生を対象に実施しています。

平成28年7月31日 東坂部町獅子舞保存会 

(一部抜粋)


約20年前より女性の参加が始まり、現在篠笛や小学生の口取等に女性の参加が進み、現在に至っています。

2017年よりのぼり旗を作成し、祭りに彩を添えるようになりました。

                   

今年度の子どもたちです。

高学年は後舞や太鼓にも参加しています。

中学生・高校生男子は後舞、女子は篠笛での

参加です。






女性チーム。

獅子舞の中に華を添えていただいています。

市内の中でもこれだけの女性が在籍して篠笛を奏でているのはなかなかないかと思います。

彼女たちが東坂部町のメロディーを子どもたちに

継承してもらっています。

今年作成したのぼり旗です。

各所に立てて祭りの雰囲気をだしてくれると共に

祭りに色を添えていただきました。